第一画廊
和朝 今昔物語/享保十八年刊/三十巻残存九冊
本書は、本朝・天竺・震旦の各説話を収めた説話集「今昔物語集」の本朝部にあたる。外題は「和朝 今昔物語」、内題は「今昔物語」。製版本。表紙は薄縹色表紙、寸法は縦二二・二糎、横一五・六糎である。匡郭は四周単辺で、界線無し。楮紙袋綴となっている。毎半葉十行。巻末刊記によれば、享保十八年巳孟春吉日版行。京都 茨城多左衛門、江府 小川彦九郎らによる刊行である。
掲載写真の挿絵は「玄象の琵琶鬼の為に取らるるの語」の一場面である。突如消失した皇室伝来の琵琶「玄象」。ある夜、管弦の達人源博雅は、門のほうから玄象の音色がするのを聴き、そこへ駆けつける。(関口)
千載和歌集/江戸初期~中期刊/二巻二冊
千載和歌集は、平安末期の第七番目の勅撰和歌集であり、八代集の一つにも数えられている。後白河院の院宣により、藤原俊成が撰集し、文治四年(一一八八)に成立した。本書については、原装の藍色表紙で、大きさは縦二二・六糎、横十六・〇糎である。上下二分冊となっており、それぞれ表紙中央に「刻版絵入千載和歌集」の原題箋がある。毎半葉十六行で、一首一行、装丁は楮紙の袋綴じである。匡郭はないが、柱に上冊は「千載序」と「千載一」から「千載十」まで、下冊は「千載十一」から「千載二十」までの柱刻がある。刊記、奥書がないため刊年時は不明である。所々に墨の書入あり。下冊・巻二十の末尾には、巻十四、八五九首の歌「露ふかきあさまののらにをがやかるあ賤の袂もかくはぬれじを」が、「右の哥 在異本ニ」との文とともに記されている。一から二十までの各巻に、一つから二つずつ、墨印の挿絵がある。各巻は春・夏・秋・冬・離別・羇旅・哀傷・賀・恋・雑・釈教・神祇の部立に分けられており、絵もその巻に沿ったものが描かれている。
掲載している絵は、上冊の四丁目表の絵であるが、ここは巻一・春歌にあたり、梅について詠まれた歌が並ぶ中に屋敷の人物が庭の梅を眺めている絵が挿入されている。ここからも部立に沿った絵が描かれていることがわかる。(草野)
竹とり物語/二冊一巻/江戸中期刊
本書は一般に昔話の『かぐや姫』として知られている『竹取物語』の刊本である。外題は虫食いにより一部判別し難いが『絵 入竹とり物語』、内題は『たけとり物語』と記され、上・下二冊に分けられている。奥書や年時を含む刊記がないため、明確な刊行年時は不明であるが、その状態と形式から江戸中期のものと推測される。版元は茨城多左衛門、寸法はいずれも縦26.0センチ、横18.4センチである。虫食いは多少見られるが本文の判読に支障はなく状態は良い。
写真の絵は物語の終盤、月からかぐや姫の迎えが訪れ、兵士たちは武器を取り落とし、翁と嫗、姫らは別れを嘆き涙している場面である。(今戸)
桐壺 はゝ木ゝ/刊行年未詳/二巻一冊のみ存
本書は、紫式部によって著された『源氏物語』桐壺巻と帚木巻の刊本である。外題は『桐壺 はゝ木ゝ』、内題は無く、柱題として「桐壺」「帚木」と刷られている。表紙は、縦一五・五センチ、横一〇・八センチ。原装のままであり、題箋に大きな損傷があるため、外題の一部が判読不能となっている。また、本書は一冊のみの零本であるため、刊行年や奥書等については未詳である。
掲載写真は、桐壺巻の挿し絵である。右上に帝、左中央には、生まれたばかりの若君を抱いた桐壺更衣が描かれており、帝のもとへ若君と共に参上する場面であることが分かる。(金森)
第二画廊
保元物語/刊行年未詳/三巻一冊
本書は、軍記物語『保元物語』の刊本である。外題は『保元物語』、内題は無く、目録前に目録題として「保元物語」と刷られている。表紙は縦二六・一センチ、横一八・二センチ。原装のままである。別掲の『新板絵入 保元物語』と同板である。但し、欠損箇所の数や鮮明さから、本書が先に刷られたと考えられる。
掲載写真は「新院御むほんろけん并てうふくの事」の挿絵である。馬に跨っているのが、保元の乱において後白河天皇方で戦った、源義朝。門の近くには「三条のもんたゝく」とあり、内裏への呪詛について、度重なる参内命令を受けていながらそれに応じない頼長のもとへ、宣旨を承った義朝が訪ねる場面である。(金森)
新板絵入 保元物語/貞享二年刊/三巻三冊
本書は、保元元年に起こった保元の乱の顛末を、鎮西八郎為朝の活躍を中心に描いた、鎌倉初期の軍記物語『保元物語』の刊本である。外題は『新板絵入 保元物語』、内題は無く、目録前に目録題として「保元物語」と刷られている。表紙は縦二五・三センチ、横一八・五センチ。原装のままであり、虫食いによる損傷が多い。別掲の『新板絵入 平治物語』と共に、六巻六冊でまとめられた内の、一巻から三巻までが本書である。また、同板である別掲の『保元物語』と比較して、巻三「為朝鬼の嶋にはたる事付さいごの事」において一丁落丁している。
掲載写真は、「白河殿を義朝夜うちに寄らるゝ事」の挿絵である。源為義とその子ら六人を含む軍勢が、白河殿御所(北殿)へ夜討を仕掛けている。右には手前から、保元の乱において、御白河天皇方として戦った、鎌田次郎正清、源義朝が描かれている。左に描かれた門の上には、崇徳上皇方として戦った源為義と為朝が迎え撃とうとする様が描かれている。(金森)
新板絵入 平治物語/貞享二年刊/三巻三冊
本書は、平治元年に起こった平治の乱を題材とした軍記物語『平治物語』の刊本である。外題は『新板絵入 平治物語』、内題は無く、目録前に目録題として「平治物」と刷られている。表紙は、縦二五・三センチ、横一八・五センチ。原装のままであり、虫食いによる損傷が多い。別掲の『新板絵入 保元物語』と共に、六巻六冊でまとめられた内の、四巻から六巻までが本書である。
掲載写真は、「三条殿発向付けたり信西の宿所焼き払ふ事」の挿絵である。右上に「のぶよりしんぜいやかたに火をかける」とあり、馬に跨った藤原信頼率いる一団が、少納言入道である信西の宿所に火を放つ様を描いたものである。(金森)
大宝 和漢朗詠集/文政六年刊/二巻二冊
本書は、平安時代の歌人、藤原公任が撰んだとされる歌謡集である。漢家詩文・本朝詩文・和歌を朗詠題ごとに分類配列している。表紙左にある原題簽に「大宝 和漢朗詠集」とあり、その下に「仮名附」とある。目録題は「大宝倭漢朗詠集」、大きさは縦二二・二糎、横一五・六糎である。上下二段構成になっており、上段に書道花道の素養をのせ、下段に『和漢朗詠集』の本文が続いている。本文には仮名が付けられている。下巻末の刊記より、文政六年初秋、皇都書林中川藤四郎らによる刊本であることがわかる。
写真は上巻一丁目の、歌人が建物の中から外の風景を眺めている様子である。(奈須)
新板伊勢物語/江戸中期頃刊か/二巻二冊
整版。表紙は縹色地に菱繋ぎの文様を空押ししている。大きさは縦二五・九センチ、横一八・二センチ。料紙は楮紙で、袋綴されている。匡郭は四周単辺。一面一二行で、一首は一行に収められている。紙数は上巻一九丁、下巻二五丁。下巻には「京寺町松原下ル町菊屋喜兵衛板」という刊記と奥書が記されている。なお、奥書は、前半は武田本の戸部尚書奥書と同一、後半は桃園文庫の法橋玄津筆本の長禄二年奥書と同一のものが付記されている。また、墨印の絵が、上巻に六面、下巻に七面ある。
掲載画像は上巻六丁表にある絵。六段の、男が女を連れ出し、芥川を過ぎる場面が描かれている。(成富)
第三画廊
画本古文真宝後集/嘉永三年刊/五巻一冊のみ存
本書は、前集十巻・後集十巻から成る『古文真宝』に、日本の有臺藤應が注釈を、旭輝齋が挿絵を添えた、『画本古文真宝後集』の刊本である。『古文真宝』は、一三六六年鄭本の序によれば、林以正が市場で購入した本に修訂を加えたものであり、本書も鄭本の序を巻頭に付している。外題は『画本古文真宝後集』、内題は「画集古文真宝」である。刊記から、嘉永三年正月に江戸日本橋山城屋佐兵衛、他三肆によって刊行された。表紙は、縦二二・七センチ、横一五・四センチ。原装のままであり、題箋に損傷があるため、外題が一部判読不能となっている。末尾に掲載された広告によれば、本書は六篇六冊中の初篇に当たる。但し、広告には二篇以降について「近刻」となっているが、実際に刊行されたのは初篇のみかと思われる。
掲載写真は、「秋風辭」の挿絵である。漢の武帝が地の神である后土を祀るため、河東の汾陰に行幸した際、楼船の中で行われた宴会の様子を描いたものである。(金森)
井蛙抄/宝暦二年一月刊/六巻一冊
『井蛙抄』は南北朝時代の歌人・頓阿の著した歌論書である。頓阿は中世歌壇の主流を形成した二条派の代表的な歌人で、公卿歌人・二条為世の門人である。『井蛙抄』は二条家において重視された歌論書のひとつで伝本も多い。
虫食いによる損傷のために題箋から外題を読み取ることはできないが、巻首の内題には『井蛙抄巻一』とある。各館25丁前後の膳138丁の6巻1冊で、縦19.0センチ、横12.7センチである。前後表紙の表面以外は虫食いはほとんどなく、内容の状態は良好。巻末の刊記より宝暦2年1月、京都の伊勢屋庄助の出版であることがわかる。
歌の情景が描かれた絵が多く付され、写真の絵と歌は巻1「風躰事」六百番歌合の余寒の一首である。図中の歌を以下に記す。
山さくら 咲にし日より 久かたの 雲ゐにみゆれ たきのしら糸
(今戸)
十六夜日記残月抄/文政七年刊/三巻三冊
本書は、小山田与清と門弟北条時鄰による『十六夜日記』の注釈書である。『十六夜日記』本文中の難解と思われる語句を抽出して注釈が試みられている。表紙は薄い朱色に白で氷割模様があり、中央の原題簽に『十六夜日記残月抄』とある。大きさは縦26.2センチ、横18.9センチ。序、跋、例言、阿仏尼の肖像絵図などがあり、例言には阿仏尼の伝記についての記述、『十六夜日記』の成立を弘安三年とする考証などがみられる。巻三末の刊記より、文政七年二月、京都出雲寺文次郎らによる刊本であることがわかる。
写真は巻三、十四・十五丁目のもので、『十六夜日記』中の長歌が奉納された鶴岡八幡宮の図である。(奈須)
うつほ物語「俊蔭」/万治三年刊/一巻三冊
うつほ物語は平安中期成立の物語で、作者は未詳。清原俊陰、その娘、藤原仲忠、犬宮の四代にわたることの名手一家の繁栄と、源正頼の娘・貴宮が多くの青年貴族の求婚を退け、東宮妃となり、やがて皇位継承争いが生じる過程を描く。本研究室にはは『うつほ物語』中はじめの「俊蔭」編のみ残存。本書は横15.7センチ、縦22.3センチで、上冊24丁、中冊42丁、下冊27丁の計93丁。版元は「洛陽今出川 林和泉掾」。一冊目の一丁のみ写。
上写真の絵は、物語冒頭俊陰が三人旅人と出会い、その三人が琴を演奏している場面である。(今戸)