研究者紹介

真島 望

 (MASHIMA,Nozomu) / 近世文学

メッセージ

 私はこれまで主に近世の地誌を研究対象として扱ってきました。地誌というのは、一般的にあまり聞きなじみのある言葉ではないと思いますが、ごく大ざっぱに言うならば、現在のガイドブックに類似する書物群を指します。
 ある地域に関する地理的・文化的・歴史的情報や知識を述べたもので、『○○名所記』あるいは『○○名所図会(めいしょずえ)』といった書名を持つものが代表的です。
 上述のような内容を知ると、果たしてこれが「文学」なのかと疑問に思う方もいるかもしれません。確かにこれまで地誌は、多くの場合人文地理学や歴史学の方面で研究対象とされることが専らでありました。
 しかし、近世の地誌が叙述の対象とする「名所(めいしょ)」は、その淵源をたどると、平安時代頃に定着した「歌枕(うたまくら)」という概念に行き着きます。歌枕とは、和歌に繰り返し詠み込まれることによって形成された、特定のイメージと結びついた地名(吉野→桜、明石→月の類)のことで、「名所(などころ)」とも称されて、和歌文化圏を中心に重視されることになりました。日本の最も歴史あるポエジーと密接に関わるという点において、地誌とは優れて文学的だと言うことができるでしょう。
 また、地誌はその地域に積み重ねられた歴史や記憶を盛る器でもあり、史実か否かはさておいて、非常に豊かな伝説や説話の宝庫ともなっていますから、その点においても文学的側面を有するわけです。
 こういった言わば主観的な情趣に傾いた要素は、近代の欧米由来の客観性を尊ぶ科学的思考によって無価値なものとされ、近代地誌からは排除されていってしまいます。近世までの学問は、主観的情趣・客観的科学性のどちらも内包していたのであり(そもそも本来「文」にはその両様の意味が含まれる)、当時のあり方に即して考えるならば、地誌はやはり充分に「文学」たりえるのです。
 では、この地誌というジャンルを読む行為によってどのようなことが得られるのでしょうか。
 その土地や地域の歴史や説話はもちろんですが、私は、当時の人々の自分たちの足下に対する意識や歴史認識といったものに注目しています。つまり、自分たちをどのような存在と認識していたかなどの問題です。これは当然、現代に生きる我々を相対化することにつながるわけで、決して単なるアナクロニスムではなく、現在進行的な問題意識だと言うことができます(古典文学を学ぶこと全般に該当することですが…)。
 また、そこから派生して、自身が関東出身だということもあり、東国という地域・文化の特色や、「日本」とはどこを指し、「日本人」とは何者なのかなどという大きな問題にも興味をもっています。
 縁あってこの文化の薫り高い熊本の地にやって来ましたので、これまでの研究の成果を活かしつつ、熊本や九州の地誌や名所に目を配って、近世地誌の世界の魅力や研究の意義を、より積極的に発信してゆきたいと考えています。
 もちろん、実際の授業では上述の地誌ばかりでなく、西鶴や芭蕉、上田秋成といった、近世文学の「著名人」たちの作品をも扱います。江戸時代に至るまでの文化の蓄積を反映した近世文学作品は、他の時代とはまた異なる魅力にあふれています。一人でも多くの方にその素晴らしさを伝えることができれば、これに勝る幸いはありません。
 最後になりますが、文学やそれに関わる学問について、「役に立たないから大学から無くしてしまえ」などという暴論が、とてもエラい立場の人間の口から飛び出すような時代です。しかし、その「役に立つ」とは、追求してみれば「金になる」(口汚くて申し訳ありません)ことを意味しているに過ぎません。経済的効率主義の価値観が幅をきかせる現代社会だからこそ、学生のうちに、そういったものと異なる価値観もあるのだということを知り、またそれに触れることが重要で、それが「文学部」の存在意義の一つだと考えます。すなわち「役に立たない」ことこそが「役に立つ」というわけです(すべて芸術はそういうもののはず)。周囲の雑音に惑わされることなく、自信と確信をもって文学部の戸をたたいて下さい。